「K後継」梗概

風間透/著

ディリーストアは広井がチエーンストアシステムを駆使し多店舗展開した量販店チエーン。原動力は広井が説く流通革命を実現することに若い人生を賭ける大卒定期組だ。

定期組のトップ、三期、企画の前田、商品の河合、一期、店舗開発の杉本たちと、広井自身が懇願しスカウトしたナンバーツウ山地が広井の周辺を固め成長軌道に入る。

昭和四十四年。広井は前田たち定期組十人の戦略プロジェクトチームで「月一店開店システム」を構築、広井指示、広井十人衆が中心となって作り出すチエーンストアシステムは流通業界のナショナルスタンダードとなった。

四十六年。量販店初の株式公開を果たしM百貨店を抜いて売上トップ企業に急成長した。

四十八年。月一店開店システムを超える年二四店出店を実現。

五十一年。しかし広井の拡大一辺倒策はやがて新店イニシアルロスと既存店収益のバランスを崩し業績悪化が表面化。なお拡大へと突き進む広井に不安を抱いた主力銀行、幹事証券はナンバーツウ山地支持体制を固め広井後を模索する。

山地は広井に対し拡大を抑え既存店改善に絞るべきと迫る。

広井は拡大と業績改善の両立だ、若い定期組が必ず両立を実現させると拡大をとめない。

既存店の業績改善実績を示せない広井を、五十年頃からじわじわと上がりだした地価が救う。担保不動産の評価額上昇で主力銀行の広井追求姿勢が弱まり山地支持体制が次第にしぼんで行く。

前田たち定期組幹部は広井が与え続ける流通革命の課題を果たしつつさらに成長する。

広井は地価と流通革命に邁進する定期組に支えられ、ディリーは売上一兆円企業になった。

五十五年。広井がかつてみせたことのないしぐさを繰り返した後、三十七才の財務部長前田だけに「Kがディリーに入りたいというのだ」と告げる。Kは広井の二十四才の長男だ。瞬間、前田が広井に返した疑いに満ちた目の光。広井はもう一度だけ、前田、河合の二人に「僕はそう決めた、意見を聞かせてくれ」と伝え、河合も同じ疑いの目の光を返す。

この目の光が広井、ディリーを追い詰めて行く。

五十五年。広井はディリー新店の開店日にKを連れてくるという衝撃的な世襲をスタートさせた。

広井の説く流通革命を信じそれを実現させると、大企業の数倍の質、量の仕事を生きがいとしてきた定期組に「K後継」の衝撃が走った。

広井の片腕に成長していた前田、河合、杉本は衝撃に耐えつつ、広井がKの能力、適性を判断し定期組のロイヤリテイ低下を見極めて「K後継」を撤回する日を待つ。

三ヶ月で人事考課Aクラスの定期組三十人、転職組二十人がK後継に反発して退社した。

潮が引く、広井は定期組を中心にした幹部、社員たちの動きをそう感じひるむが、K入社後も流通革命を前進させると鼓舞し続ける。

五十六年。広井は主力銀行などの山地支持体制が地価上昇、業績小康状態の中で揺らいだことを掴み、山地を管理本部長から外し主力銀行との接点を断ち切り閑職に追い込んだ。

山地の人格を慕い交流を深めていた前田、河合は、広井がナンバーツウ山地を切ったことでK後継をさらに進めると受け取る。

広井は前田たちを取締役に選任することで定期組のロイヤリテイ回復を狙う。

五十八年。広井がバブル経済下で拡大し続けた多角化事業のロスが累積し連結決算が赤字に。前田財務部長は取締役会に新店、関連事業投資の大幅削減、赤字解消が困難な既存店閉鎖を提案した。

片腕として新店、多角化、MAを担当してきた前田の方向転換を激しく指弾する広井。連結赤字によって主力銀行、幹事証券が新規融資、時価発行増資に応じなくなったから には拡大をとめて業績改善一本に絞るしかないと答える前田。広井は「それだけではないだろう、もうひとつ理由があるはずだ」とK後継反対に傾いた前田を蛇の目で見据える。

五十九年。広井は前田たちもいずれK体制下に入ると判断し二男Jも入社させた。

ディリーの成長過程で広井が体験した兄弟の相克からK、Jに公平に事業を引き継ぎたいという広井の思いをインタビュー記事で知った前田、河合、杉本三取締役が辞任。
再び定期組、転職組の幹部の大量退社が続く。

ディリーはK後継を受け入れた若い定期組が広井フアミリーを固め、幹部、社員のロイヤリテイ低下、量販店過剰、カテゴリーキラー台頭など厳しい環境下で苦闘を続ける。

閑職であっても広井の拡大路線を諌め続けた山地が病死。広井の許を去った杉本、前田の四十代半ばの死が続いた。

平成十六年八月。産業再生機構入りを拒否する青山社長を追うテレビ特集。広井は本当の分身、片腕は若くして死ぬか、去ってしまったとつぶやく。

十七年一月。広井は産業再生機構入り、自らの個人資産処分のテレビ特集を見入っている。